誰もが一度は耳にしたことがある「歴史的事件」と、その「なぜ」を考えることで今の世界や未来まで見通す「世界史のリテラシー」シリーズ、NHK出版が新たに刊行を開始した。。その配本第1弾『「ロシア」は、いかにして生まれたか--タタールのくびき』は、現在注目を集めるロシアの国家形成に、240年間にも及んだモンゴル=タタールによる支配がどのように影響したのかを辿る。著者は岐阜聖徳学園大学教授・宮野裕氏。
シリーズのウェブサイトでは、配本第1弾のイントロダクションを抜粋して公開している。以下、このイントロダクションを一部紹介してみる。結びの言葉「ロシアにはウクライナを自らの影響圏とする正当性があるかのような言説の原型も、この時期に現れました」とイヴァン三世の時代に触れているが、本文では「全ルーシーの一体性」というプーチン大統領の歪んだ歴史観の源流を浮かび上がらせている。
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イヴァンの時代にロシアはモンゴル人による二世紀半にわたる支配(一般に「タタールのくびき」と言われます)から脱却し、独立を獲得しました。そしてこの独立とともに、国家機構を整え、領土の拡大も進めていきました。そういう事情があったので、ロシアが成立した経緯(独立だけでなく、くびきの時代も含めて)を追いかけていくと、ロシアという国のあり方、とりわけその基礎部分が見えてくるように思います。
そこで、本書では、四章に分けて、ロシアが「タタールのくびき」とどのように関係を結び、最後はそこから離脱し、ロシアとして飛躍の第一歩を踏んだのかについて、年代で言えば十六世紀初頭までの時期についてお話ししたいと思います。
第一章では、「タタールのくびき」とは何か、どのように成立したのかをお話しします。ロシアの歴史におけるくびきのインパクトは計り知れませんから、まずはこのくびきについてお話ししておきたいと思います。
第二章では、このくびきのなかでどのようにしてモスクワ諸公が力をため、競合諸国を追い落としながらこの地域の中心になっていったのか、その過程を追いかけます。私の考えでは、「タタールのくびき」がなければ、モスクワがロシアの中心になることはありませんでした。
第三章ではイヴァン三世の時代にロシアがようやく独立を果たし(くびきからの離脱。多くの研究者の意見では、一四八〇年の「ウグラ川での対峙」という歴史事件で終わったとされています)、国力を蓄えていく過程を叙述します。この過程で、君主に多くの権限が集まる仕組みの原型が作られていきました。その意味でも、現在のロシアを考えるために重要です。
最後に、第四章においては、蓄えた力をバネにして、ロシアが、特に「父祖の地の回復」というスローガンを掲げて西に侵攻していくさまを描きます。ロシアは、当時リトアニアの支配下に置かれていたかつてのルーシ大公国(一般にはキエフ大公国やキエフ・ルーシ国家として知られています。「ルーシ」は、リューリク兄弟の出身地スカンディナヴィアの氏族名に由来するとしばしば考えられています)領に領土を拡張していきます。この拡張の様子を現在のウクライナ侵攻と重ね過ぎることはよくないのですが、それでも現代に生じているウクライナ侵攻と類似のロジックがここで使われたことを知ることで、ロシアの今回の行動を支える考え方について深めることができると思います。
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