11月26日はウクライナの「ホロドモール」犠牲者追悼の日で、午後4時に各家庭でろうそくに火が灯され、1分間の黙祷が捧げられた。国営通信社ウクルインウォルムによると、ホロドモールは人為的大飢饉を意味し、1932-33年に起きた。「スターリン体制によるウクライナ人に対するジェノサイド(大虐殺)と呼ばれている。当時のソ連の共産党全体主義体制は、これに先立ちウクライナの知識人・宗教関係者に対して大規模に弾圧を行なってきており、それに続けてウクライナの農民を犠牲にした。22か月間にわたり続き、約400万人の人々の命を奪った。」
この大飢饉ホロドモールを生き抜いた人々の証言をグラフィック・ノベルで描いたウクライナ近現代史『ウクライナ・ノート-対立の起源』が10月30日に花伝社から発刊された。A5判並製、オールカラー176ページで、定価2200円(税込)。著者のイゴルト(igort)はイタリアを代表する漫画家の1人で、90年代には雑誌「モーニング」で連載を持ち、東京で暮らしていた。2010-11年にウクライナ、ロシアに2年間滞在していた経験をもとに、『ウクライナ・ノート』、『ロシアノート』を刊行。現在、ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、『ウクライナ・ノート2-侵略の日誌』を制作中という。1958年生まれ。
ウクライナ・ノートでは、著者がウクライナで偶然に知り合った高齢の女性、男性などからホロドモールの体験談などを聞き取ってグラフィック・ノベルにまとめている。同時に、「クラーク」、「ボルシェヴィキのレポート」、「命令に則り」の項目で、ホロドモールの歴史も描写。クラークの項目では、モスクワが主導する農業集団化を受け入れなかった人々が「クラーク」と認定され、その撲滅運動が展開されたことを描いている。
クラークとは「持てる者」で、2頭の雌牛を所有するだけでクラークとみなされた。「ウクライナの農民はどこも、農業の集団化に反対していた。これらの農民は戦争捕虜のような扱いを受けた。むりやりに列車に乗せられて、追放された」。1928年時点で560万人を数えたクラークは、1934年には14万9千人に減少したという。「コルホーズが門戸を閉ざし、旧クラークへの援助も禁じられていたなかで、約550万人の人びとはどのような運命をたどったのだろう?」。
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