TOKYO FMは10月8日 (土)午前 6時から6時55分まで、TOKYO NEWS RADIO特別番組『日本の小さなウクライナ~ウクライナ避難民の半年~』を放送した。今年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、半年以上経った今も戦火は多くのウクライナ避難民を生み出している。3月2日に日本でも避難民の受け入れを表明、現在は約2000人の避難民が日本で生活をしている。安全で安心な場所での生活。しかし、言葉も文化も、制度も全く違う場所で、何を思い、日々を過ごしているのか。番組では、横浜市にオープンした避難民や日本在住のウクライナ出身者たちがウクライナ語で交流できるカフェ「ドゥルーズイ」を取材、避難民や日本在住ウクライナ人、ウクライナ避難民の支援に当たる方たちから話を聞いている。
進行は後藤亮介氏(TOKYO FM報道・情報センター)。冒頭、日本在住のバンドゥーラ奏者のカテリーナさんがキーウに1人で残っていた母マリアさんの安全を考え、3月に日本に呼び寄せることにしたことを振り返った。マリアさんがキーウを離れ、日本に着くまでの時間は2週間以上で、道のりは簡単なものではなかったという。「一番辛かったのは電車に座る場所がなかったので、11時間も立ったままでした。電車を降りて国境を越えるまで4キロ歩かなければいけない。大変でした。ウクライナのチェックポイントを渡り、さらなホーランドのチェックポイントまで長く歩きました」と避難の道を語るマリアさん。ウクライナで友人たちと歌を歌うことが好きだったが、「今は歌いたいという気持ちより泣きたいという気持ちの方が強い」。
後藤亮介氏は生まれ育った神奈川県にも避難民が来た話しを聞き、横浜市にできた避難民がウクライナ語で話せる交流カフェに行ったと説明。同カフェは4月28日に立ち上がったもので、5月12日に訪ねたという。横浜市の職員は、「名称はウクライナ交流カフェ・ドゥルーズイと言います。ウクライナ語で友だちで、ウクライナから避難してきた方、もともと日本に住んでいるウクライナの方と日本の方を繋いで、友だちになってもらえればいいなと名称を付けています。ウクライナの方が母国語で交流、ホッとできる場所をコンセプトにつくっています。日本在住のウクライナの方がいらっしゃるので、避難民の方がここに来てウクライナ語でいろんな相談とか、悩みごととかを話ができます。成人の男性は現地に残って、お母さんと子どもが避難しているというケースが大半で、市営住宅でなかなか遊ぶ場所がないというニーズがありますので、キッズスペースも設けています」と語る。
「ウクライナ語が飛び交う空間は、日本にある小さなウクライナ」という説明に続いて、ウクライナ避難民の声を日本語で紹介。「オデーサから息子2人と避難して来ました。日本語がまだ分からないので、ウクライナ語で相談できるところはありがたい。子どもたちが気に入ったらここにいてもいいですが、できれば夫のいるウクライナに戻りたい。今はウクライナ語とロシア語しかできませんが、自分の力を使わせて欲しいと思います。ボランティアでもいいし、何でもやります」。「日本に来てよかったです。優しい人ばかりです。日本の高校生に当たる年で、オンラインでウクライナの学校で勉強しています。日本の学校に通うかどうか、今はっきり分かりません。ただ、せっかく日本に来たので、日本語は勉強したいと思います」。「4月に娘2人と避難して来ました。ウクライナの小さな町から来たので、横浜市は大きく、不思議だと思いましたが、すごく素敵です。カフェがオープンした日にも来て、何度も来ています。子どもたちも仲の良い友だちをつくって、ありがたいです。自分もここで相談して話も聞けるし、安心なので来ています。これから市営住宅に住む予定で、まだホテル暮らしです。ホテルは何でもあって安心できるのですが、引っ越し後は自分たちで生活していかなくてはいけない」。
7月1日、交流カフェでは日本の文化に触れるイベントが開かれた。「七夕にはウクライナの平和を祈りました。日本の文化はいろんなことがあって、面白いと思います。日本に仕事を見つけて暮らしたいのですが、できればウクライナに戻りたい。日本はとても素敵な国だと思いますが、やはり家に帰りたいです。旦那も息子も向こうにいるので。でも、日本人は優しく、本当に落ち着けています」。七夕やウクライナの伝統工芸づくりを学ぶイベントが開かれるたびに、次第に日本人もこの輪に加わるようになってきたという。「時間が経つにつれて小さなウクライナはウクライナ人同士で安心できる場所から、徐々に広がっていっていると感じました。何よりイベントを通して、小さな子どもも、大人も、避難民から笑顔がこぼれることも多くなってきたようにも見えました。交流カフェの力で少しずつ避難民たちは日本に溶け込んできています」と後藤氏。
8月24日、戦争は終わる兆しを見せず、半年が経過した。カテリーナさんは「私と一緒に日本全国を回って、ママもステージに立って、ウクライナの文化など話して、前向きになって少しずつ明るくなった気がしました。しかし、時間が経っても戦争がまだ終わっていない状況で、見通しも見えない中、また落ち込んできています。帰りたい気持ちも出てきて、何しても、どこに行っても、あまり楽しんでいない感じです。もう帰りたい、ウクライナの方が落ち着くと。インターネットで向こうのニュースを見たりすると、同じ時期に他の地域に避難した人で戻っている人が増えています。帰させてあげたい気持ちもありますが、今の状況ではできないです。ちょっと困っているところです」と語る。
日本がウクライナの難民を受け入れて半年。国連難民高等弁務官事務所の守屋由紀広報官は次のように語る。「帰ることができるなら帰りたいというのが多くの難民の人たちの希望です。彼らの一番のツールはスマホです。インターネットを通して、帰っている人がいるということを見ると、もしかしたら自分もできるかもしれないが、まだ戦闘は続いているし、紛争は終結していないので、いつまた動こうかと悩んでいるところです。すぐ帰れるような状況では決してないので、これから先どうするか。ずっと支援を受け続けるわけにはいかないし、もともと仕事をしていた人はその仕事に類似するものに従事して、仕事をするのは人間の尊厳を維持する上でも大事です。そういった自立するための手立てを見出すことが今すごく大事だと思います。特別な存在ということよりも、普通に扱ってもらいたいと思うのです。何か腫れ物のようにというわけではなくて、普通の隣人として付き合うのが一番ではないでしょうか」。
9月22日、番組ではカテリーナさんを横浜市の交流カフェにカテリーナさんを招いて、バンドゥーラに合わせて皆んなで一緒に日本の歌『上を向いて歩こう』を歌った。「歌うことは何の解決にもならないが、辛い気持ちを少し忘れて、大切な日常を感じてもらいたかったのです。何より歌が好きだったマリヤさんに歌を取り戻して欲しかったのですが、ドゥルーズイに現れたのはカテリーナさん1人。マリアさんは体調がすぐれず、会うことはできませんでした」と後藤氏。合唱のあとにマリアさんの声が挿入され、「今は難しいですけど、(避難民の)皆さんと力を合わせて、我慢して、頑張って、あとは帰れる時に帰れる日が来ると思っています」とカテリーナさんが日本語に訳した。
(スマホアプリのradikoは有料でエリアフリー機能を付加することができるので、エリアフリーradikoでエリア外の愛知県でTOKYO FMの特別番組を聴いて、内容を抜粋してみた。)
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